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下野の国府跡はいまでは広い畑の中です。ここには菅原道真・伴大納言絵巻の伴善男・藤原秀郷も国司として赴任していました。ご存知のように、菅原道真は讒言により大宰府に左遷され、伴善男も謀(はかりごと)により応天門放火の張本人に仕立て上げられ、共に非業の最期でした。藤原秀郷だけは、平将門の乱の平定者として名をあげましたが、身内同士の争いでの辛い勝利。秀郷流の武家として子孫は栄えましたが、一方の将門も関東各地で御霊信仰の雷神として今も関東各地であがめられています。
人は追い詰められたとき、どうしょうもない状況になった時、どう行動するのでしょうか・・・・信念と覚悟を持って生きていれば、どんな辛い人生も乗り越えられるのでしょうか。京の都から遠いこの板東の地で、彼らはどう生き働いていたのでしょうか。そんなことを考えてしまいました。
国府の近くには大神神社(おおみわじんじゃ)があり、奈良の本社と同じく大物主尊(おおものぬしのみこと)をお祀りしています。古代の参道もそのまま残り静寂につつまれておりました。日々の感謝と家族や皆のしあわせを祈り手を合わせました。
※ 栃木の名前の由来は十(と)千木(ちぎ)。天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る大神宮には伊勢神宮と同じく立派な千木が確かに十本ありました。
ペンネーム:天の恵み人の恵み

Name avantistaff : 2005年09月21日 11:19
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